中尊寺
屋根の部分を除く全てに金箔が施されている阿弥陀堂は平安時代の工芸技術が結集していると言われています。その金色堂には藤原清衡、基衡、秀衡のミイラ化した遺体と泰衡の首級が納められています。
撮影禁止なので、写真は中尊寺のHPから無断借用しました。一見の価値は十分にあります。この金色堂は下の新しい覆堂とよばれる建物の中にあります。
金色堂を覆い保護する建物が覆堂ですが、左の写真にある覆堂は以前のもの。貴重な文化財を管理するにはこのような木造の建築物では不十分なのは分かりますが、近代的な建物は趣が欠けますね。
嘉永2年(1849)の火災で焼失したため、現在ある能舞台は嘉永6年(1853)に伊達藩主伊達慶邦朝臣から再建奉納されたもので、平成15年国の重要文化財に指定されました。ここでは四季折々の郷土芸能が披露されています。
自分自身の写真を撮るのは好きではありませんが、折角なので帰路に本堂に再び立ち寄り山門前でパチリ。これでアリバイ成立。
大きな薙刀を抱えているのが弁慶。その右は義経。
義経は頼朝と不仲になり、追われる身となったため、藤原秀衡を頼りに奥州入りしました。しかし、到着後すぐに秀衡は亡くなり、息子の泰衡の庇護を受けることになりました。
泰衡は父の遺言を守ろうとしたのですが頼朝の圧力に屈し、お家安泰のため義経を裏切り、義経の住む衣川館を襲撃します。
義経は防戦したのですが防ぎきれず、お堂に入り法華経を読み自害しました。その間、一人で敵に立ち向かった弁慶には無数の矢が放たれにもかかわらず仁王立ちを続けたというお話は超有名ですね。その弁慶の墓が月見坂入口に近い道路脇にあります。
平家との戦で武功をたてた義経が、兄から妬みをかうことになった義経の心中は察するに余りあります。
それにしても義経を裏切った泰衡も頼朝から追われることになり自分の家来に殺害され、その家来は頼朝に斬罪されました。非情な時代だったのですね。