幕府は、安政 7年(1860年)日米修好通商条約批准書交換のため、米軍艦ポーハタン号で新見豊前守正興を代表とする使節団をワシントンへ送ることにしました。しかし、万一の事故に備えて勝麟太郎ほか90余名の日本人乗組員による咸臨丸を従わせることにしました。
咸臨丸は品川沖から浦賀に入り出航の準備を整えて 1月19日に浦賀を出航しました。これはその記念の碑。サンフランシスコには咸臨丸入港の碑があるそうです。
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1853年 7月8日(嘉永6年6月3日) 4隻の黒船が浦賀に来航しました。ペリー提督は旗艦・サスケハナ号で幕府と交渉の末、7月14日に久里浜に上陸しました。
さすが黒船ゆかりの土地。 川にかかる橋の名が「開国橋」ならば、道路の案内標識もズバリ黒船です。 |
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記念碑の正面には伊藤博文の筆により
北米合衆國水師提督伯理上陸記念碑
裏には、
嘉永 6年 6月 9日 上陸
THIS MONUMENT COMMEMORATES
The First Arrival of COMMODORE PERRY
AMBASSADOR FROM THE UNITED STATE OF AMERIA WHO LANDED AT THIS PLACE
JULY 14, 1853
と書いてあります。 |
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お隣にあるペリー記念館には、
・ペリーの久里浜上陸図
・船内を描写した古書
・海兵隊員の行進を描いた絵巻物
・江戸湾防備の配置の瓦版
・乗組員を描いた絵巻物
などが展示されています。
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明治政府が明治 4年 (1871年)に設置したもので、三浦半島の南東端にあります。知名度はあるものの訪れる人は少ないようです。
ここまでの道路が狭く、自転車でさえ車とすれ違うのにハラハラするほどです。 |
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毘沙門湾からやや急な上り坂です。ロードバイク数台に抜かれました。彼らは若いし、荷物なし。私は背中に12kgのバッグを背負っています。勝負になりません。
坂をのぼりつめると宮川公園があります。秒速 3mの風で発電でき、2基で一般家庭 300世帯分の電気を発電しているそうです。このようにまじかで見るのは初めてなので見入ってしまいました。
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