下関 (2/4)
元治元年(1864)、長府功山寺で決起した高杉晋作たちが、新地会所襲撃後にたてこもった寺で、本堂の柱には刀傷が残っているそうです。
萩本藩の出先機関だったところで、高杉晋作たちが、俗論派政権打倒のため最初に襲撃し、占拠した場所です。
長府藩士らの夜襲をうけた晋作は、この井戸の中に身を隠し、丸一日潜伏しました。これがもとで体を壊したと伝えられています。
平家一門が安芸の厳島神社の分霊をいただいて守護神として船中に祀っていた神霊が、壇之浦の合戦後、磯辺に漂着していたのを祀ったのに始まると言われています。
攘夷必勝を祈念して、白石正一郎が大鳥居を寄進した。源義経が必勝祈願した地に建てられた寺と言われています。
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