雪中行軍
茶屋の脇の道を少し上ると後藤伍長の銅像があります。
この銅像は明治37年に建てられたもので、台座の裏側には遭難者210名の名前が刻まれています。
行軍ルートには小峠、大峠など山坂が多く、荷物の運搬隊が遅れるようになりました。そうした状況の中、天候が急変し、先に目的地へ送り出した設営隊が道に迷ってしまいました。部隊は大混乱。やむなく露営をすることになったのがこの地です。 |
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天候が回復しないため帰営することを決断して、深夜に露営地を出発したのですが、すぐに道に迷い、鳴沢渓谷に入り込んでしまいました。そして小さな窪地でまた露営することになりました。 |
明治11年の建築で、昭和43に自衛隊青森駐屯地の一角に移築、復元されたものです。内部には遭難に関する資料などが展示されているそうですが、見学には予約が必要とのこと。残念ながら今回は外からだけに終わりました。
映画「八甲田山」では山口少佐が遭難の責任を負って拳銃で自決します。しかし、当時だれも発砲音を聞かなかったことと、凍傷で拳銃が扱える状態ではなかったことから軍により毒殺されたという説が有力のようです。本人の名誉のため自決としておいてやりたいですね。