天城越え
民宿「吞三」の前は釣り船の溜まり場です。そして写真の左側、森のように見えるのは吉田松陰が黒船で渡航を企てた柿崎・弁天島です。しかし、ご存じのようにペリーに渡航を拒否されました。それは日米和親条約直後のことだったためのようです。そして、松陰は奉行所に自首し、拘禁されました。その牢の鉄格子が玉泉寺に展示されています。
さて、次は伊豆の最南端にある石廊崎灯台に向かいます。私は二度目ですが、ここでどうしても見ておきたいものがあったのです。
それは石室神社にある帆柱です。
岩の下にあるのが石室神社。その床のガラス越しにあるのがその帆柱。
伝説はあくまで伝説なので、真実かどうか...など私には関係ありません。そうしたお話が好きなだけです。
日米和親条約が締結され、開港地に下田が提案されるとペリーは調査船を派遣しました。そして、この地が条件をほぼ満たしていることが分かるとなるとペリー艦隊が次々に入港しました。その上陸の地がここです。
ペリー提督が了仙寺で日米下田条約締結の為に行進した道で、全長は約500m。平滑川をはさむ両側の小道にはおしゃれなレストラン、雑貨店、やギャラリーなどが建ち並んでいます。
また、なまこ壁や伊豆石造りの建物も見受けられます。